雄島の神社

「大湊神社」(本宮)
大湊神社には約1370年の歴史がありますが、その長い歴史の中で、織田信長の時代に兵火にあい雄島の神社は焼かれてしまいます。それから江戸時代になり、再び造られたのが現在の雄島の「大湊神社」です。
大湊神社の宝物庫に、木の板で作られた、古い棟札があります。棟札とは神社やお寺や民家等、建物の建築修復に際し、その年月日や施主・施工者名・工事の目的などの記録を記して、建物内の棟木等に取り付けた札の事です。

この棟札は、雄島の神社が江戸時代に再建された時の物です。棟札の中央には「奉造立三保大明神社拝殿一宇 武運長久国家安全祈処」と書かれています。
願主には「松平忠直」公の名前があり、江戸時代の福井藩二代目藩主が神社を再建したと分かります。又、その際の祭式を行ったとして、足羽神社大宮司の牧田兵部橘朝臣景貞と、当社神主の松村豊後守橘朝臣豊春の名前も記されています。
そして神社が造られた年月日は「元和七年九月廿日」、西暦1621年の旧暦としての9月20日とあります。新暦にすると10月末くらいでしょうか。つまり、現在の雄島の神社が再建されてから、400数年目になる訳です。
当然、雄島の神社は、正面にあり普通目にする「拝殿」部分が昭和46年に、その奥に覆屋に囲われる形で在る「本殿」部分が昭和28年に、それぞれ福井県の重要文化財の指定を受けています。
本殿は、彩色が施されている桃山様式の柱や梁等をもつ一間社流造、柿葺(こけらぶき)の小社殿です。その本殿を覆う覆屋は、文政七年(1824)建造とされています。
拝殿は一重入母屋造りで、正徳五年(1715)、延享四年(1747)、文政二年(1819)、明治十年(1877)、そして近年では、昭和47年(1972)度より文化財補助事業として施工することとなり、東大名誉教授工学博士藤島亥次郎先生の監理指導の元、昭和48年に補修復元された物です。
